約 938,349 件
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/46.html
昨日は子供の日だったということで、今日は鯉のぼりについてお話しようかなと思いますっ!鯉のぼりが始まったのは江戸時代でした。中国の古い言い伝えである「鯉の滝登り」から武士の立身出世を祈願して、鯉の絵が書かれた吹流しを武家が飾ったのが始まりと言われています。(続く) 意外なことですが、江戸時代には鯉のぼりは関東地方でしか行われていなかったそうです。鯉のぼりは古来からずっと日本にあって全国で行われていたような気がしますが、由来が中国なら成立も江戸時代、しかも日本の一部でしか行われていなかったんですね。(続く) 現在の鯉のぼりはカラフルなイメージがありますが、江戸時代では黒の真鯉しか揚げておらず、明治に入ってから黒の鯉に赤の鯉や青い鯉が添えられ、家族を表すようになったのだそうです。ですが近年はマンションなど集合住宅が激増し、鯉のぼりの姿を見ることは珍しくなりましたね……。(続く) 現在でも鯉のぼりが見られる有名どころといえば、群馬県館林市の鶴生田川で行われる「世界一こいのぼりの里まつり」です。2005年にはなんと5283匹の鯉のぼりを揚げギネス世界記録に認定されたそうです。 また、埼玉県加須市は鯉のぼりの生産量が日本一で、1988年には全長100メートル、350kgとなる世界最大の鯉のぼりを制作し、毎年5月に開催される市民平和祭で利根川に飾られるそうです。あまりに大きいので、クレーンで吊るされるのだとか。 また、埼玉県の矢納地区では、かつて平将門が逃げ込んだ際に民家に揚げられた鯉のぼりのせいで居場所が知られ、戦に敗れてしまったそうで、「鯉のぼりを揚げるとその家が不幸になる」と畏れられ、鯉のぼりを決して揚げないのだそうです……。平将門は祟り神と畏れられていますからね……
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/35.html
さて、今日の神社紹介は……!元日直前ということで、初詣(はつもうで)講座をしようかと思いますっ! 皆さん初詣は日本古来の文化だと思っているかもしれませんが、実は初詣が定着したのは明治維新の後なんですっ!それまで日本人はお正月に氏神(うじがみ:地域、地元の神様)参りと言って、氏神様のいる寺社に行っていたんですっ。(続く) または、氏神様がいないときはその年の恵方(風水でいいとされる方向)の寺社に行く事が多かったのですが、あまり恵方を来にせず大きい神社や古い情緒あるお寺に自由に行くスタイルとなり、現在の初詣の形になっているんです。ちなみに初詣はお寺でも神社でもどちらに言っても大丈夫ですっ。 お寺でも神社でもいいというのは、前にお話した神仏習合(どこの神様もみんな友だち)という思想があって、かつては仏教も神道も同じものとみなされていた名残なんです。 さて、初詣といえばお賽銭を入れて、おみくじを引く。この2つのイメージが強いかなと思いますが、厳密にはもう少し手順があります。まず手水舎で手を洗い、お賽銭を入れ、神社ならば玉串を捧げる、というのが大きな流れです。(続く) 初詣の本懐は「今年一年がいい日でありますように」と祈ることです。なのであまり手順や作法だけにとらわれるのもいいとは思いませんが、こういった儀式の時に作法があると身が引き締まってさっぱりすることもありますので、余裕があれば正式なやり方も試してみてくださいね。 それでは、参拝の手順の追っていきますね。まずは手水舎で手を洗う……その前に!鳥居をくぐるとき一礼しましょう。鳥居から先は神様のお家ですからねっ。また参道の真ん中を通るのもよくありません。境内は神様のお家ですから参道は神様が通る道だからですっ。そして、手水舎に行きましょう。 手水舎とは、こういう柄杓が置いてある場所ですっ。神様に会いに行くのですから手を洗いましょうという場所です。神社やお寺によってはないところもあります。(続く) 手の洗い方は、1.右手で柄杓を持ち左手を洗う 2.柄杓を左手に持ち替え右手を洗う 3.右手に柄杓を持ち替え左の手の平ひらに水を入れて口をゆすぐ 4.柄杓を縦に持ち柄に水をかける 5.柄杓を伏せて置く(終わり)ですっ。難しそうですが、柄杓を汚れないようにとすれば大丈夫なんですよ。 手を洗ったら次にお賽銭を入れに行きましょう。お賽銭の謂われには2つ説があります。明治以降、資本主義と貨幣経済が流れ込んで、人々が金銭に邪を託して預けようとした説(明治より前は神社には米や魚を奉納していたんです)と、小銭を投げ入れる音が鈴の音に似ているから、という説があります。 お賽銭にはいいご縁があるように5円玉、という説もありますが実際には金額はいくらでも構わないでしょう。ですがお賽銭を入れるときはそっと入れましょう。遠くから投げたり乱暴に入れては神様に失礼ですし、危ないです。そしてお賽銭を入れたら鈴を鳴らしましょう。この鈴が厄を祓ってくれます。 鈴を鳴らしたら、お祈りをします。神社の場合は再拝二拍手一拝(一礼して2回手を叩いてお祈りし、最後にまた一礼する)、寺院の場合は手を叩かず合掌して終わりです。ですが寺社によって細かく異なることがありますので看板などで指示があればそれに従いましょう。 最後に玉串礼拝というのがありますが、参拝者が玉串礼拝が出来る場所は稀です。玉串(たまぐし)というのは神前に捧げる、紙垂(しで)や木綿(ゆう)をつけた榊(さかき)の枝です。胸の高さにかざし、枝の方を神様に向け置き、再拝二拍手一拝ですっ。 以上が必要なステップで、後はおみくじを引いたり破魔矢やお守りを買いましょう。破魔矢とは矢と付くものの、破邪、退魔のための道具であり、実際に矢じりがついている必要はないんですよっ。 ちょっと長くなってしまいましたがどうだったでしょうか。一度大晦日に一度お参りして、元旦に再び参拝する二年参りという参拝の仕方もあります。大事なのは一年を新しい気持ちで迎えることですっ!ちょっと意識してみてより新しい気持ちが迎えられたらいいですねっ、それでは今日の紹介は以上ですっ!
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/56.html
今日ご紹介するのは、ギリシアのペロポネソス半島にあるオリンピアの古代競技場跡です!画像の通り今は更地ですが、かつては競技場と、ギリシャ神話の最高神であるゼウスの彫像がありました。そしてここ開かれた競技会がもととなって現代のオリンピックが出来上がりました! 紀元前8世紀、ギリシアは伝染病により多くの人が苦しんでいたのですが、当時の王様が音楽と拳闘の神であるアポロン神のお告げを受け、競技会を始めることにしたのです。日本でいうところの雨乞いの儀式みたいなものですね。この競技会は1000年以上続いたそうです。 また、ここには世界の七大建造物の一つと言われたゼウスの像があります。座っている姿ですが全長12メートルもあり、当時としては最大級の彫像だったようです。乾燥しないように常にオリーブの油で磨かれていたそうです。 ゼウスとはギリシャ神話で全知全能の一番すごい神様です。弱気を助け悪を挫く、正義と慈悲の神なのですが、その一方で浮気がちな人でいろいろな女性と浮気をし、奥さんにバレないようにごまかそうとする一面もあります。ちなみに浮気はいつもバレて神々の争いが起きました。ふぇぇ… 現在のオリンピックで必ず灯される聖火は、ここオリンピアのヘラ神殿で、へこんだ鏡を使って松明に灯され、それが開催国まで運ばれてくるんです!火はギリシャ神話では文明や知恵の象徴とされていることから神聖なものと考えられているんです。 次のオリンピックの開催地は、日本の東京に決まりましたね。東京に届けられる聖火も同じようにギリシャで灯された神聖な炎です!そう思うと開会式もちょっと楽しみですよね!そんなわけで今日の紹介は以上です!これまでの神社紹介まとめはこちらからどうぞ!
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/17.html
今日ご紹介する神社は、日本に戻りまして京都市右京区太秦の木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)ですっ! 長い名前なので通称を木嶋神社、または蚕ノ社と呼ばれていますっ。写真を見ると、鳥居が変な形をしてますね。 この鳥居、通常の鳥居と違って柱が3本あるんですっ。このような鳥居を三柱鳥居と呼びまして非常に珍しいながらも全国に存在しています。この木嶋神社は大宝元年(701年)から文献に名前が記されています。またこの三柱鳥居も葛飾北斎が描いているのでそれより前からあったことになります。(続く) この三柱鳥居、現在でもどうしてこのような形をしているのか一切不明なのだそうです。ある人は三位一体を意味するキリスト教との関連を噂し、またある人は古代イスラエルとの関連を示唆し『日ユ同祖論』という考え方を展開しているようですっ。今日はついでに日ユ同祖論のお話をしようと思いますっ。 日ユ同祖論とは、日本民族の祖先とユダヤ民族の祖先が同一であるという考え方ですっ。歴史から忽然と姿を消したユダヤ民族の祖先である古代イスラエル10支族が日本に移り住み、祖先となったという説です。その根拠として日本の神話、神道とユダヤ人の神典や神事に似ている点が多いのだそうです。 類似点を大雑把に上げると、山伏が法螺貝を吹く行為とユダヤで角笛を吹く行為、狛犬とライオン像、日本書紀と旧約聖書の家族構成、菊の紋章などだそうです。それから三種の神器である八咫鏡に彫られた文様がヘブライ語を意味している点などが根拠として上げられているようですね。(続く) まあ、私はたまたまだと思うので全然信じていないのですが、これはこれでロマンのある話なのかなあという気がしますっ。詳しく知りたければ日ユ同祖論で検索してみてくださいっ。ただ、若干陰謀論めいた話に繋がっていくのでご注意くださいっ。そんなわけで今日の神社紹介はおしまいですっ! だいたいどんな国でも全知全能の神様が世界を作ったって神話を作っているので偶然かなあという気がしますし、文字が似ているって言われても英語のEとカタカナのヨだって似ていますし、人間が使う文字はだいたい似たような感じになるのかなぁと思っています……。 ユングという人がこういう偶然の一致を、人間の心の根底に似通った部分があると考えて『集合的無意識』と呼んだそうですっ。おまけの話でしちゃ……
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/15.html
今日は寺社紹介の代わりに、本のご紹介をしますっ!『蝉丸Pのつれづれ仏教講座 』 ですっ! ご存じの方も多いかもしれませんが、蝉丸Pはニコニコ動画で活躍なさっている現役のお坊さんですね。リアル住職、略してリア住なんて呼ばれてたりもしますっ! 私もたまに仏教についてお話しさせていただいちぇますが、やはり本職のお坊さんのほうが遥かに詳しくて内容も濃密ですね!ネットスラングを交えてお話する形式は好みが分かれるかもしれませんが、本は厚く内容はとても充実していますっ! 実はまだ読み終えていなくて、それでご紹介させていただくのも失礼かなとも思ったのですが、とてもいい本だなと思ったので紹介させていただくことにしました!ちなみに本屋さんに行ったらこの本の隣に「イケメン住職名鑑」って本が置いてあってやっぱり日本人はすごいなって思いました! ご興味ある方は一度ニコニコ動画で蝉丸Pの動画をご覧になるとスタイルがわかるかもしれません!ぜひお手にとって見て下さいね! す、ステマじゃないです……! 何にせよ宗教とスピリチュアルの区別が付いていないと怪しい新興宗教にコロっと騙されてしまうというのはよくあることなので、本当に基礎的なこと。宗教ってそもそも何?供養って何?お葬式って何?ということに対して免疫を付けておくのは大事だと思いますっ!
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/62.html
今日ご紹介するのは、兵庫県豊岡市にある中嶋神社(なかしまじんじゃ)ですっ!こちらの神社は、お菓子の神様を祀っているとされ日本中のお菓子会社からありがたがられていて、日本各地に分社があります! お菓子の神社とされているのは、垂仁天皇の命により、かつてお菓子の最上級品と考えられていた橘(ミカンの仲間)を持ち帰った田道間守命(たじまもりのみこと)を祀っているからなんです。そんなわけで鳥居も朱色というよりもミカンの色に近いですね。 橘ですけどいちごは関係ないです 橘という植物はヤマトタチバナとも呼ばれ、現在では絶滅危惧種となっており、国の天然記念物に指定されています。橘は一年中葉が落ちない植物で、永遠や不死をイメージさせるということで尊ばれました。 また苗字の橘というのは、奈良時代の元明天皇が県犬養三千代という朝廷に仕え数々の功績を残した人物に橘の姓を送ったことが始まりです。元明天皇は京都御所紫宸殿に植えられていた橘を大変大切にしていてこの姓を送ったのだそうです。 4月の第3日曜日に行われる祭礼は、菓子祭とも橘花祭(きっかさい)とも呼ばれ、全国の製菓業者の方が参列し、業界の繁栄を祈願するのだそうです。明日、11月11日は国民的に有名なあの細長いお菓子の日ですけど、あの会社の人もお参りするのかな…?
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/40.html
今日は建国記念の日ですねっ!今日の紹介は建国記念の日スペシャルということで、建国記念の日の話をしようと思いますっ!建国記念の日は神道とも関係がある祝日なんですよ!初代天皇である神武天皇が日本を統一して大和朝廷を築いたのが2月11日と考えられているため2月11日なんです! 建国記念の日の元となる祭日として、かつて紀元節という祭日がありました。ですがこの紀元節は、戦後の連合国軍最高司令官総司令部によって削除されてしまったのです。やがて日本が独立を取り戻すと紀元節を取り戻そうという運動が起こり始めたのです。 そして、1957年に「建国記念日を2月11日にとする」という法案が提出されました。ですが反対する政党も多数あり、なかなか可決しませんでした。妥協案として「建国記念の日(建国を記念する日という意味)」という表現を使うことにより1966年、現在まで続く建国記念の日が制定されたのです。 また、この神武天皇の即位を元年とした年号を「皇紀」といいます。今日本で一般的に使われる「西暦」はイエス・キリストが生まれた翌年から始まっています。皇紀元年は西暦660年になります。つまり、西暦2013年は皇紀2673年となりますっ! さて、神社は神道に基づく神殿ですので、2月11日は大切な記念日です。今でも2月11日はいろいろな神社、あるいは仏閣でも建国を祝う祭事が行われています。特に靖国神社での祭事には多くの方が参拝に見えるそうです。 ご、ごめんなさい……「皇紀元年は西暦660年」は間違えで「西暦元年は皇紀660年」が正しいです……ふぇぇ…… ふぇぇ…最後に訂正が入っちゃったんですけど、今日の紹介は以上ですっ。意外な記念日が神道と関係があることがあるんですよっ!それでは、また来週もよろしくお願いしますっ!
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/11.html
今日ご紹介するのは、ついに海外に飛びましてインドネシアジャワ島のムンドゥット寺院ですっ!http //t.co/lVVhsKPt 非常に古くに建てられた寺院であり建立年は8世紀とも言われていますっ!発見された時は土に埋まっていた状態だったそうです。(つづく) この寺院、実は大変美しく仏教彫刻の最高傑作とも言われる釈迦三尊像が安置され、今でも多くの仏教徒が参拝しています。釈迦三尊とは釈迦如来を真ん中に、その両隣に菩薩像を安置する安置形式です。ただこれは日本の形式で、このムンドゥット寺院では観世音菩薩像が中心に置かれています。 そしてムンドゥット寺院はこの釈迦三尊の他にも、寺院の壁に8つの菩薩像が彫られています。これらの菩薩の彫りを礼拝すると穢れが取り除かれると言われています。そしてこれらの中に鬼子母神という仏様の彫刻もあります。今日は母の日ということで母と名のつく鬼子母神のご紹介をします。 鬼子母神(きしもじん)はインドの夜叉神の娘でありまた500人の子の母だったのですが、大変残虐で近所の人の子をとって食べ大変恐れられていました。しかしそれを見たお釈迦様が子を失う母の気持ちを思い知るようにと鬼子母神の子供を攫ったのです。鬼子母神は大変苦しみました。(つづく) それから鬼子母神は反省をして仏門に帰依することになり、護法善神という仏様の一人になり、子どもと安産の守り神となったのです。この鬼子母神の像は必ずザクロという果物を手にしています。ザクロの実は人肉と同じ味がするのでお釈迦様が与えたのだそうです。今日のご紹介は以上ですっ!
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/37.html
今日ご紹介するのは、福岡県太宰府市にある太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)ですっ!天満宮とは菅原道真公を祀っている神社です!菅原道真は大変学問に秀でていたことから学問の神様とも呼ばれ、毎年多くの受験生が参拝に来ていますっ! 学問に縁のある有名な神社といえば、東京都の湯島天神などが有名ですねっ。実は湯島天神の天神というのは菅原道真のことなんですよっ。この太宰府天満宮が菅原道真を祀る「天神信仰」の始まりになった、と言われています。菅原道真さんは祀られるほど頭がよかったんだ、と思うかもしれませんが実は…… 実はこの菅原道真は、政治的に利用され、謂れのない罪を被せられ大変不名誉な形で朝廷を追われてしまったのです。そんな菅原道真の死後、朝廷に大変多くの災いが降りかかり、朝廷の人々は「これは菅原道真の祟りだ」と考え、それを鎮めるために太宰府天満宮と北野天満宮という神社を建てたのです。 つまり、日本各地にある~~天満宮、~~天神という神社は、実は全て菅原道真の祟りを鎮めるためにできたんです。天神信仰とは菅原道真の祟りを鎮めるために祀ることだったんです。天神とは天の神、つまり雷を司る神様であり、その怒りが天に満ち多くの人々が被害にあったことから付いた名前なんです。 しかし最近では菅原道真が大変学問に秀でていたことが注目され、多くの天満宮が菅原道真を学問の神様と見直して祀るようになり、多くの受験生も参拝に来るようになったそうです。今日までセンター試験ということで学問の神様(?)についてのお話をさせて頂きましたっ!今日の紹介は以上ですっ! センター試験、いろいろ大変だったみたいですね……。そもそもセンター試験の日には統計的に見てかなりの高確率で雪が降ったり残っていたりするんだとか……。
https://w.atwiki.jp/dmjinja/pages/78.html
今日ご紹介するのは、、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある醍醐寺ですっ!真言宗醍醐派総本山の寺院です。空海の孫弟子に当たる理源大師が874年に醍醐山山頂に創建したお寺です。 醍醐天皇を中心とした有力者がが強く信仰を持ち、財力によって醍醐山麓の平地にも「下醍醐」と呼ばれる豪華な建物が作られました。国宝の金堂や五重塔がそうです。 さて、この醍醐寺には木造の理源大師坐像という重要文化財があるのですが、この像の内部に小型の五輪塔があることが最近分かりました。重要文化財なので分解したのではなく、X線解析(?)でわかったのだそうです。 そしてこの五輪塔の中には理源大師の位牌や歯が収められている可能性があるとのことです。奈良国立博物館がこのことを今月1日に発表しました。この理源大師坐像は9月15日までの特別展「国宝 醍醐寺のすべて」で展示されているそうです。 五輪塔とはたまにお寺で見かけるこういうものです。もともとは聖人の遺骨を入れるものとして考案されたもので、この小さな木造の五輪塔にも入っているのかもしれないということなのでしょうね。お時間ある人は奈良国立博物館に行ってみてくるといいと思います!